深名線でトリップ!

時刻表の画像はここから拾ってきたやつです。こいつも無断転載なんだろうけど
 

 深名線(しんめいせん)をご存じだろうか。国鉄末期に同じ北海道の美幸線(びこうせん)と赤字日本一の座を激しく争ったローカル線である。美幸線が国鉄分割民営化前の昭和六十年で廃止されたのに対し、深名線は「代替バスを走らせる道路が沿線にない」という理由でJRどころか平成の時代まで生き残っていた。
 
 
 

 平成六年九月。夜行特急「オホーツク」を深川で降りた俺は、JR深名線のプラットホームへ向かった。駅舎からいちばん遠いそのホームに屋根はなく、雑草が生い茂って「いつでも廃線オッケー」といった状態だった。確かまだこの時に廃線は決まっていなかったはずだが。

 五両編成のディーゼルカーが停まっていて少し驚くも、すぐに「乗れるのは先頭車両だけで後ろ四両は回送扱い」だとわかって納得した。このディーゼルカー、外装はともかく中身がすさまじくボロい。木張りの床にはワックスやニスが塗られていない。シートにはスプリングもクッションも入っておらず、痔の人が座ったら「ぎゃっ」と叫んで飛び上がりそうなくらいに硬かった。神のお告げふうの細い声で社内放送が流れる。昭和を動態保存したような列車だ。
 
 
 

 早朝五時すぎ。鉄道オタクばかり十人ほどを乗せ、深名線深川発一番列車は名寄へ向けて出発した。しばらく北海道の田園風景が続く。途中で誰も乗ってこないんだろうなと思っていたのだが、やはり誰も乗ってこない。突然停車したので何かと外を見たらそこが駅だった、といった具合に盛り上がりのないまま列車は淡々と進んでいく。

 幌加内(ほろかない)で回送四両のうち二両を切り落とした。この車両は深川行となって折り返していく。俺たちが乗っている列車の使命は沿線の途中駅へ回送車両を運んでいくことであって名寄まで客を運ぶのはそのオマケのようだ。深名線は全長121.8キロメートルの中距離路線でありながら両端の深川市と名寄市以外には幌加内町しか自治体が存在しない。幌加内が大きな町かというとそういうわけでもない。こんなところへ鉄道を通したら大赤字に決まっている。
 

深名線路線図。右上に美幸線も載っている
(「昭和五十八年八月 交通公社時刻表から」だそうです)

 

 幌加内を過ぎると左に雨竜川が寄り添うようになる。ぼんやり眺めつつ何か変だなと思っていたら、それは護岸がないからだった。自然な状態を見て不自然さを感じるのも情けない話だが子供の頃から堤防のついた川だけを見て育ってしまったのだから仕方がない。

 朱鞠内(しゅまりない)でしばらく停車。回送の残り二両を切り離してここから先は一両編成で名寄へ向かう。鉄道オタクの何人かが駅で切符を買って戻ってきて「硬券だ」と騒いでいる。自動発券のペラペラなものではない厚紙でできた切符は当時からすでに珍品となっていた。窓口に端末が普及した現在はJRの駅で普通に売っているところはまずないだろう。

 ここから列車は線路以外に人工建造物がいっさい見あたらない山間部へと突入していく。窓から手を伸ばせば枝葉に触れられそうな自然遊歩道状態の線路を、ものすごい轟音をあげてじわじわと登っていく。昭和十六年に突貫工事で作られた区間なのだが、戦争のためとはいえ、よくこんなところへ鉄道を通したものだ。
 
 
 

 名寄まであと二駅というところでバアちゃんがひとり乗車してきた。本日初のまともな乗客である。風雪にさらされてこれ以上ないくらい黒茶色くくすんだ駅舎と同じくらいに枯れた老婆。シュールな絵だ。

 残り一駅で似たような老人を数人乗せて、列車は名寄に到着した。深名線完乗達成である。さあこれでいつなくなっても後悔しないぞと思っていたら、一年後の平成七年九月三日で本当に廃止されてしまった。まあ、あそこまで利用客がいないんじゃしょうがないわな。
 

おまけ画像
昭和五十八年八月 国鉄深名線時刻表
 


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